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虚無感って言うのかなぁ
ずっと感じてたものがまた戻ってきてる感じがする。
ヒッチハイク旅行してる間は虚無感どころか
「今日の夜はどうしよう」って考えるのに必死だった。
人間は何も考えなくても生きられる状況になるとダメになるね。
きっと、生きるのに必死になりたいんだよなぁ。
何もしなくても、
雨や雪をしのげる屋根があって
冷たい風を遮ってくれる壁があって
暖かくて柔らかい布団があって
夜には紐を引っ張れば明るくなる電気があって
言いだせばキリが無いくらいの安全で安心して眠れる環境がある。
そう思うと、この環境を捨てたくないと思ってしまう。
それって確かに幸せかもしれないけど、必死にならなくても生きられるって感じてしまう。
蜂が自分に向ってきて、ここで刺されたらヤベー、とか
今、夜中だしこんな獣の出そうなところ歩いたらやばいだろ、とか
何も考えなくて良いんだよなぁ。
たった数日だけど、確かに生きようと必死だったと思う。
あの、数日間は肉体的にも精神的にもキツく感じたけど、生きてるって感じた。
今みたいに何も考えなくても生きていけるって言うのが幸せなのだと分かるけど、
生きてるって実感が感じられない。
それが、じわりじわりと、腹の奥底で黒い染みになって体中に広がって行くような感じがする。
とても、追い立てられるような気持ちになる。
その、腹の中に出来た黒い染みが根を張って
引きちぎれない位になる前に、今より何歩も前に進まなきゃダメだよな。
人が生きてる間に、人生と言う道を死ぬまでに100歩まで歩けるとして。
100歩歩き切ることが出来るのは一部の人間だけだとしたら。
その100歩を歩き切る事が出来る人間はどんな人間か?って考えたら。
そいつは死ぬ時に一つも悔いなく死ねた奴だと思う。
そんな奴が100歩歩き切れたんだと思う。
自分は、まだ、一歩も歩けてる気がしない。
そんな風に感じる。
今、死んだら悔いだらけ。
ただ、そう考えると、これからの人生を100歩分も楽しめるって計算になる。
そう考えると、これからの人生無駄にできねーなって考えになるよなぁ。
確かに、まだ、自分が何がしたいのか分からない。
だからこそ、残りの時間を無駄にできないって感じる。
生まれて初めて思ったかも知れない。
自分の為に頑張ろう。と。
ことあるごとに5と言う数字が僕を導いてきた。
今回の旅でもそうだった。
僕は、今回、キツネの死骸を5個見た。
何かの小説で死体の数え方は個で良いって言ってたけど、
僕は、やっぱり死体であっても、5匹って言った方が、
やっぱりしっくり来るなぁ
それ、俺スタイル。
その答えが、この短期間で出るか?って言ったら出ないのなんて知っていた。
じゃぁ、なぜ、そんなこと書いたのか、
答えを、忘れていたから。
そして、ヒッチハイク旅行に出る理由が欲しかったから。
まず、「自分は何の為に生きるのか」
僕が考えてる、勝手な考えでも書いておこう
「自分は何の為に生きるのか」と聞かれたら、
僕は、
「理由がなかったら、生きていたらダメなの?」と質問で返します。
だって、生きるのに理由なんて無いじゃないか。
「 生きるということに決まった理由 」なんて無いじゃないか。
人類最大の謎ですよ。
人それぞれの正しい答えはあるかも知れないけど、
全ての人に当てはまる正しい決まった答えがある訳でもない。
小学校でする算数の計算式のように、正しい答えが用意されてる問題じゃないんだよね。
そんなこと分かって居ても、忘れたかった、というより知らないふりをしたかった。
留まる理由として、
そして、踏み出すきっかけとして
何にでも理由を求めてはいけないって、どこかで聞いたけど、
やっぱり、その通りだと思う。
理由が無いからこそ面白いこともある訳だし、
この問題は、特にそうだと思う。
今、「何の為に生きるのか」と聞かれたら
自分は、「今、ここに存在してるのが理由だと思う。」と答えるかな
それ、俺スタイル。
本当は、もっと色々なこともあった。
おばあちゃんを助けたり。
色々な運転手の方にも会った。
年下のバックパッカーの子にも会った。
だけど、旅行が終わってみて、書きたいと思ったことはこれくらい。
他は、自分の中にしまっておきたい気持ちが強い。
2日目にノートを捨てたせいで詳しいことを書けないというのもある。
このノートを捨てるまでは、ヒッチハイクして車を降りた時に「次は何処まで行こう!!」と
目的地を持ってヒッチハイクをしていたのだけど、
それじゃぁ、計画があるのと変わらないじゃないか。
目的地があるなら電車で行けば良いじゃないか。
と、いう気持ちに駆られてしまい捨てることにした。
ただ、目的地が無くなってしまうと、
「乗るかい?」と声を掛けられた時、
「じゃぁ、お願いします」という気持ちになってしまい。
同じところを行ったり来たりする羽目に・・・
ただ、別に後悔はしていない。
乗せて頂いた運転手の方々には感謝の気持ちでいっぱいです。
ありがとうございました。
家に帰り、実家暮らしの僕は親にしつこく「何処まで行ったの?」と聞かれた。
面倒くさかった僕は、「北の方」とか言ってはぐらかしてたけど、
最終的に宗谷岬まで行ったことになった。
お風呂に入ってスグに眠りにつきたかったが、
お風呂が洗われてなかったので自分で洗って、お風呂にお湯を溜めてる間に
牛乳の濃厚なソフトクリームアイスとチョコミントのアイスを買ってきて
お風呂に入った。
もちろんお風呂の温度は火傷しているため、ぬるかった。
バックパックを背負っていた為、肩が擦れていてそっちの方が痛かった。
お風呂からあがり、アイスだけ食べて20時間の眠りに着いた。
色々あって、朝を迎えた。
自分は旭川の国道に立って居た。
良い事であっても悪い事であっても。
自分だけの思い出にしたいことは誰にでもあるだろう。
そんな事を思いながら晴れた空の下に立っていた。
取りあえず、滝川の温泉を目指すことにした。
特に苦労することなく簡単に車が捕まった。
順調に滝川まで乗せて貰い、コンビニに降ろして貰った。
取りあえず喉が渇いていて無性にジュースを飲みたくなって
飲み物を買おうとコンビニに入ろうとした時。
若い茶髪の男性がドアから出てくる時に躓いて、持っていたカップラーメンを俺にブチマケテくれた。
凄い丁寧に謝ってくれて、お金まで払うと言ってくれたが、
自分は、別に気にしてないことを伝えたところ。
せめて飲み物だけでも買わせて欲しいと言われ、
500mlのスポーツドリンクを買っていただくことになった。
そして、そこで分かれた。
目的地を温泉としてヒッチハイクを開始したが、
徐々に右の太ももと右手がヒリヒリと痛み出した。
右手を見ると右手の小指の辺り以外が真っ赤になっていた。
草陰に入って太ももも見てみると真っ赤になっていた。
取りあえず公園まで歩き水で冷やした。
どうしようか悩んだ結果。
こんなんで温泉に入ったら痛いだけだと結論が出たので、家に帰ることにした。
そして、家に向けてヒッチハイクを開始することにした。
今回のヒッチハイク旅行は、これで幕を下ろすことになった。
お腹は減っていなかったがスパゲティとドリンクバーを頼んだ。
スパゲティは不味かったせいか、疲れていたからか、あまり食が進まなかった。
最終的に一口残した。
それからは、2時間くらいはコーヒーを飲みながら持ってきていた本を読んでいたが
気づいた時には寝ていた。
目が覚めて、1時間くらいしてから空が白んで来たので、「もう良いや」と、思い。
ファミレスを出ることにした。
駅にある花壇みたいなところに腰をかけてしばらく休んでから、
国道に向かってトボトボ歩いていると、
「美瑛まで行くけど行くかい?」と、2日目に声をかけてきたオジサンとは別のオジサンに言われた。
「またかよ!!」と、内心思ったが、
そう言えば、2日目に行った時に、
『ラベンダーソフトクリーム食べたいなぁ』と、思ったのを思い出して行くことを決意。
オジサンとの車中の会話の流れで、
気を使って話過ぎた結果、
「初めて美瑛に行く」と、嘘をつかなくてはいけない流れになってしまい。
再び美瑛の色んな観光名所を回って貰い時間を潰すことに。
気がつけば午前10時を回っていた。
美瑛の駅で降ろしてもらい『北西の丘展望台』に向けてヒッチハイクを開始した。
30分くらいしてから、女性二人組のワゴンに乗せてもらい『北西の丘展望台』へ到着した。
そこで、例のラベンダーソフトクリームを食べるが、予想通りの味に満足できた。
その女性二人も同じ物を食べたが、感想は「思い出になる程度の味」だそうだ。
「これから、どうするのか決まってる?」と聞かれたので
「特には決まってません。」と、答えると一緒に三度美瑛を観光することに。
女性の車に乗って回るのは凄い怖い。美人局などの危険性も伴うからだ。
お金も、そんなに持ってきていないので、別に取られても良いやという気分だったので一緒に回ることにした。
再び寒さで目が覚めることになってしまった。
気づけば夜になっていた。
あまりにも寒くてやる気が起きないが
『動かないでいたらは凍死してしまうのではないか?』と、感じるくらい寒かった。
家から持って来たアンパンとロールパンと焼酎をバックパックから出し先にパンを頬張った。
ここまで、ずっと何も食べてなかったが、お腹が減ることは無かった。
このパンは、焼酎を飲んでお腹を壊さないようにする為と、
食べることで体温を上げようと思って頬張ることにした。
焼酎を250mlくらい一気に飲むが全く暖かくならない。
酔いが回るわけでもない。
寒いと血管が収縮してる為か、全く酔わない。
コンビニを見つけコンビニの前に座り、
どうしようか思案してる間に1時間程うたた寝のような状態になってしまう。
眠りにはつかないが思考停止して何も考えてない状態だ。
気づけばPM11時を回っていた。
それから、1時間後、あまりにも寒くてどうしようか考え続けた結果、
取りあえず、寒いのでカップラーメンを買うことにした。
全然、美味しいと感じない。
とにかく暖かいと感じた。
カップラーメンのスープを飲んでてスープを飲むくらいなら、お湯を飲んだ方がマシだなぁと思ってた。
その理由は、スープは胃に悪いからだ、
2日間まともに寝ていない上に無駄に焼酎を飲んでる自分の体は正直だ。
スープを飲んでる途中に軽く胃痛を起こしていた。
スープを3分の2ほど飲んで、スープを捨てることにした。
お腹がグルグル言いだしたので胃薬を飲むことにした。
生 涯 で 1 番 ま ず い カ ッ プ ラ ー メ ン に認定した。
取りあえず、歯を磨くことにした。
コンビニの前で堂々と歯を磨いた。
コンビニの店員に奇妙なものを見る目で見られていた。
気がつけば、既に日付は代わり、夜中の12時35分だった。
寒いので取りあえず暖かい場所を探すために駅においてあった観光用の地図と
持参した北海道地図を開くが、近場に開いてそうな店はコンビニ以外になさそうだった。
取りあえず、一つ向こうの駅の近くにライダーハウスがあるのが分かったので、
そこへ移動しようと考えた。
やることも無く、寒い上に、国道は途中から歩道が無くなっていたから歩くわけにもいかなくなったので
深夜1時を過ぎているにも関わらずヒッチハイクを開始した。
目的地は美馬牛という場所。
車は、15分に5台程度は走っていた。
通るのは2台に1台がトラック、全ての車は共通していることがあった。
それは、猛スピードということ。
2時間程ヒッチハイクをしたが、まったく止まらなかった。
よくよく考えなおしてみると、頭が回らなすぎていた。
ライダーハウスまで行っても開いてる保障が無いからだ。
それに気づき、目的地を変更して旭川に引き返すことにした。
旭川なら、24時間開いてるネカフェやファミレスなどもあると思うので、
最悪そこで朝まで過ごせば良いと考えた。
目的地が反対になったので、反対車線へ移動し明るい場所を探した。
24時間営業のセルフのガソリンスタンドが眩しいくらい明るかったのでヒッチハイクを開始した。
2時間くらいしてから、スポーツカーが止まった。
運転手は、25歳の男性だった。
「どこまで行くの?」と、聞かれ
「旭川方面まで行きたいのですが・・・」と言うと
「旭川にビデオでも借りに行こうと思うんだけど乗るかい?」と言われ乗せて貰った。
車の中で運転手の人生相談が始まった。
運転手は、「高校中退してて・・・。就職しているが、仕事が忙しすぎて自分の時間が無い・・・。」など
運転手自身の悩みを、俺に色々と打ち明けて相談してきた。
僕は、出来る限りその相談を聞いて親身に話をした。
旭川に着く寸前に、
「車の中で本当は何処まで行きたいの?」と聞かれたが、
特に目的地が無かった自分は、
ふと、ヒッチハイクで美瑛まで行く途中の滝川にあった 『 温 泉 』 という看板を思い出し。
気になりだしてしまった。
そこで、「滝川まで行こうかなぁって思ってます。」と言うと、
滝川まで乗せてくれることになった。
滝川までの道中は、ずっと色々と人生相談に乗って過ごすことになった。
そして、空が白んだ頃に滝川に着き降ろしてもらうが、
時間が早すぎて開いてる場所は、やっぱりコンビニくらいだった。
仕方ないのでヒッチハイクをすることにした。
今の目的地は滝川だったにも関わらず美唄までヒッチハイクをすることに。
なぜ、すぐにヒッチハイクしようと思ったか、
その理由は、
座って休めて暖かい=ヒッチハイクで乗せてもらえる車
という方程式が頭の中に出来上がってしまっていたからだ。
自分は、凄いズル賢く汚い人間だと感じた。
だけど、寒さで倒れる訳には行かないのと、別に無理に滝川で温泉に入る必要は無いと考えて居た。
ヒッチハイク開始から数分後、すぐに車が止まった。
美唄まで乗せてくれるとのこと。
寒いので、その車に飛び乗ることにした。
数時間後、美唄で降ろしてもらい現在地がどこか確認した。
すると、そこは12号線の、すぐそばだと言うことが分かった。
12号線とは、29.2kmも直線の国道だ、日本で一番長い直線道路。
やることも無いし、この直線を歩いて進んでみようと思い行くことにした。
お昼過ぎくらいに滝川の橋を渡りきった所で、日本最長の直線道路という看板みたいな物を発見した。
もう、ヘトヘトだった。
29.2km歩き切ったけど、まったく達成感は無かった。
取りあえず。そこらへんで横たわり休憩をしている間に夕方になってしまった。
「あ、温泉・・・」気がつけば呟やいていた。
『温泉に入るなら朝から入りたいなぁ』と、思い。
『今日は、今から温泉に行っても長い時間入れないし入るのをやめよう。』と、結論をだした。
そこから歩きだして、通りがかった人に近くにある公園を聞いて、その公園へ向かった。
そこには、大きな観音像みたいなのが建っていて、交通安全祈願と書いてあった。
一応、手を合わせてから、公園内に入って、公園内の水飲み場で髪の毛と顔と足を洗った。
メチャクチャ冷たくて泣きたくなった。
タオルを濡らして絞って、消毒液を染み込ませてトイレに行って体を丹念に拭いた。
そして、今までの教訓を生かすために取りあえず旭川へ向かうことにした。
その為に、国道へ向かうのだが、その時点で居る場所は12号線のバイパスだったので、
旭川に向かう車を捕まえるには良くないポイント。
なので、国道の本線を目指して歩くことにした。
本線に着いた頃には、ギリギリ夕方くらいだった。
ここまで歩き通しだったので、足が鉄の棒のように痛かった。
ヒッチハイクするには立って居なくてはいけないのだが立ってるのが辛いくらいだった。
運良く、すぐに車が止まってくれ、再び旭川駅まで行くことになった。
その車中、手足が痺れる現象が起きた。
軽い栄養失調なのかな?と感じるが疲れの方が酷かったので気づかなかった事にした。
そして旭川駅で降ろしていただいた。
取りあえず今日はファミレスで一晩過ごそうと考えた。
駅から適当に歩くとスグにファミレスが見つかったが、
長い時間居座ろうと考えていたので完全に暗くなるまでコンビニで時間をつぶした。
そして、暗くなったので、ファミレスへトボトボ歩いて行った。
ヒッチハイク開始から4台目の車に乗せてもらった。
もう、自分が何処に居るかとかどうでも良かった。
取りあえず動いて居たかった。
ここまで、詳細に足取りを日記を書くためのノートの後ろに
XX時XX分~XX時XX分 地名ー地名 XXさん
のように、乗せて貰った時刻、その地名、乗せて頂いた方の名前をメモをしていた。
これを車を降りた瞬間にメモをしていたのだが、
スケジュールを書いてる気分がして馬鹿らしくなってしまい、
降ろしてもらったコンビニのゴミ箱にノートを捨てることにした。
それがなくなってしまうと、自分が何処に居るのか、自分が何処へ行きたいのか
分からなくなってしまうなんて気づきもしなかった。
ただ、その時は、気持ちが楽になりどうでも良くなった。
そして、ヒッチハイクを再開し、また、車に乗せてもらった。
お昼くらいに旭川の駅に降ろしていただいた。
すぐ近くに道の駅があるらしかったので、そこへ向うことにした。
そこへ行く途中、橋を歩いていると「何処に行くの?」と声をかけられた。
「どこでも良いんです。寝る場所を今は探してる感じですね。」
「美瑛良いよ。寝るところも適当に見てあげるから乗ってくかい?」と、言われ、
『寝床が確保できるなら・・・』と思い、車に乗せて頂くことにした。
旭川を出る途中で[美瑛]とダンボールに書いてる立ってるバックパッカーのオジサンを見つけた運転手の方は、
そのオジサンも乗せることにして美瑛へ向かった。
美瑛に到着すると、そのオジサンを美瑛の道の駅に降ろして、
オレを美瑛の観光地を連れて回ってくれることに、
色んなところを回って頂いたのだが、頭の中は宿の事で頭がいっぱいだった。
そして、夕刻に「じゃぁ、ここら辺で」と運転手のオジサンに突然言われ、美瑛の駅で降ろされた。
突然のことに「え、あ、はい・・・」と言ってる間に車を降りることに、
降りる瞬間、取りあえずお礼だけを言って降りた。
宿がまだ見つかってすら居なかったが、疲れていて、ヒッチハイクすら出来ない状態だった。
仕方なく、駅の中に入って休むことに、1時間程休んだ後、『動かなきゃ』と、思い駅を出て国道を目指した。
ただ、足がパンパンで疲れて居たため、途中にあった公園の滑り台で横になった瞬間眠りに落ちてしまった。
ヒッチハイク旅行に・・・
荷物は着替えと風呂道具、タオル、寝袋、薬くらいだけ
携帯や時計は置いていくことに、
初日は、最近は暖かくなってきたし野宿でも行けるだろ
そう、考えて夜は宿を探すことなく色んな場所を歩き回って見ることに、
日が落ちかけた頃に辿り着いた場所で、
寝袋+厚着+アルコール摂取で寝ることに、
疲れのおかげで即効で眠りに落ちた。
眠りに落ちた時間はまだ、街頭の明りが無くても周りを見渡せる夕方だった。
多分、3時間くらいたって(民家の物置にかかっていた時計で確認したのであってるかどうか分からない)
あまりの寒さに目が覚めた。
凍死するのではないかというくらい寒かった。
やっべ死ぬ。
目が覚めた頃には凄い星空で夜に吸い込まれそうな感覚になった。
不思議と体力は70%くらい回復していた
野宿した場所は田舎なので24時間営業してる店、というか明りがついてる民家すらない。
どうすることも出来ないが、座っていると体温を地面に奪われてしまうので立ち上がり
震えて動かない腕を無理やり動かして寝袋をバックパックに納めて歩くことに、
国道に出たが通るのは猛スピードで走るトラックばかりで止まりそうな雰囲気が無いので歩くことにした。
歩き続けて気がつけば民家すらない道。
「やべぇ、やっちまった。」と正直思った。
それから夜通し歩くことに。
恐怖心が僕の体を支配し始めていた。
どうすることも出来なくなった僕は、とにかく歩いていた。
どれくらい歩いたか分からないくらい歩いた頃、空が白んで来ていた。
そして、一台のトラックが声をかけてきた。
「どこに行くの?」どこだって良かった。
寒ささえ凌げればどこでも良いと思ったから、
「どこでも良いんです。」
こう答えると、来た道を逆走することに・・・
寒さをしのげるという安心感と、
せっかくここまで足が痛むくらい歩いて来た道を戻る惨さを感じるような不思議な感覚をもった。